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【今甦るTBCビッグロードレース】
- 1977年にTBC東北放送が開局25周年(放送開始1952年5月)としてスポーツランドSUGOで初めて開催されたレース。当時日本は国際格式レースが開催されておらず、海外のライダーを見ることの出来る唯一のレースであった。1977年から1980年までは、毎年5月と10月の2回開催となっており、この1981年から年1回の開催に変更された。
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【伝説のライダーを国内のサーキットで見ることができた】
- ケニー・ロバーツは、AMAから世界グランプリへと闘いの場を移し、デビューシーズンである1978年から79年80年と3年連続でタイトルを獲得した。1981年はそれまで並列4気筒のYZR500(OW48)から初めてのスクエア4エンジンのYZR500(OW54)を駆るものの、好調スズキ勢とは対照的にトラブルもありランキングは3位となった。
バリー・シーンは、1980年にスズキからヤマハへ移籍。ワークス契約では無かったためTZ500を駆ることとなった。1981年には前年にケニーが駆っていたワークスのOW53となるが、第4戦フランスからはケニーと同じワークスマシンYZR500(OW54)を駆り最終戦ではポール・トゥ・ウィンを達成した。結局バリーにとってGPにおける最後の勝利となった。 -
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【第9回大会】
- 予選でポールポジションを獲得したのは、木下恵二(1979年350ccチャンピオン/1981年500ccチャンピオン)、2番手に高井幾次郎(YZR500開発ライダーでもあり第9戦イギリスGPでは8位入賞)、3番手にK.ロバーツ、4番手にB.シーンという結果だ。この大会では、ロバーツがそれまで使用していたグッドイヤータからミシュランに履き替えたことにより引退するのではといいう噂があった。予選まで顎髭をたくわえていたロバーツは、決勝の朝ぜんぶ剃り、気合いを入れた様子だった。レースでは1ヒート、2ヒートともにロバーツが勝利し、総合優勝を果たした。
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【レースは2ヒート制】
- 当日行われた500ccの決勝は2ヒート制。1977年から1980年の5月開催までは、全日本選手権の最高峰クラスとしてF750での開催だったが、カテゴリーは500ccへと変更。1980年10月開催から500ccとなりこの1981年開催が500ccとしては2度目となる。
ヒート1
1. [R] K.ロバーツ 30周 31:11:95 100p
2. [28] 木下恵二 30周 31:12:19 90p
3. [3] 高井幾次郎 30周 31:14:49 80p
4. [B] B.シーン 30周 70p
5. [V] B.V.ドルメン 30周 60p
6. [5] 毛利良一 30周 50p
7. [140] 浅見貞男 30周 40p
8. [95] 草間郁夫 30周 30p
9. [93] 徳野博人 29周 20p
10 [70] 吉村俊宏 29周 10p
ヒート2
1. [R] K.ロバーツ 30周 31:07:03 110p
2. [3] 高井幾次郎 30周 31:10:04 99p
3. [28] 木下恵二 30周 31:10:64 88p
4. [V] B.V.ドルメン 30周 77p
5. [62] 平忠彦 30周 66p
6. [5] 毛利良一 30周 55p
7. [20] 上野真一 30周 44p
8. [95] 草間郁夫 30周 33p
9. [93] 徳野博人 29周 22p
10 [26] 若菜博 29周 11p
総合結果
1. [R] K.ロバーツ 210p
2. [3] 高井幾次郎 179p
3. [28] 木下恵二 178p
4. [V] B.V.ドルメン 137p
5. [5] 毛利良一 105p
6. [B] B.シーン 70p
7. [62] 平忠彦 66p
8. [95] 草間郁夫 63p
9. [20] 上野真一 44p
10. [93] 徳野博人 42p -
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