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5回目の出場ローソンは 2年振りに強さと速さを発揮!
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伝説のレースとなったTT-F1
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- 1987年10月18日に開催された、第15会大会。今回の招聘ライダーは500ccではエディ・ローソンとランディ・マモラといった実力者に加え、平忠彦も「03」ゼッケンを付ける。全日本500ccクラスでチャンピオンを獲得した藤原儀彦は若干20歳のライダー。当時は“新人類”と言われていた。
併催されたTT-F1クラスにはマーチン・ウィマーに加え、鈴鹿8耐にも参戦したトニー・シャープレスとキャサリン・コバーンがエントリー。
まずはTT-F1からスタート。予選3番手からホールショットを奪い、レースリーダーの座についたのは、カワサキの宗和孝宏。マーチン・ウィマーはマシントラブルか開始早々にリタイアとなる。
6周目にトップにつけていた宗和が転倒!しかし本人はマシンを再度起してコースに14番手で復帰した。トップは町井邦生、2番手に斎藤光雄、3番手に篠崎勝則というオーダーだ。 -
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タイガー宗和の誕生
- 転倒した後にコースへ復帰し、そこからがむしゃらに追い上げる宗和はトップの町井よりも約1秒速いタイムで周回。14番手から追い上げ次々と先行車をかわしていき11周目には5番手、20周目には4番手25周目には3番手と追い上げ続け、サーキットの観客から熱い声援を受ける。そして最終ラップには篠崎をもかわし、トップの町井の背中まであと僅かというところでチェッカーとなった。
この日、凄まじい追い上げを行った結果“タイガー宗和”が伝説となった。 -
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500ccクラス
- 前年、最終ラップに平忠彦にシケインでかわされたエディ・ローソンは、この年WGPのタイトルをワイン・ガードナーに持って行かれてしまった。さらにランキング2位のポジションさえも、この大会に出場する同じYZR500を駆るランディ・マモラに持って行かれた。
そのローソンがポールポジションを獲得。予選2番手はマモラ、3番手は片山信二、以下藤原儀彦、河崎裕之、平忠彦と続く。
決勝は片山がホールショットを奪い、藤原が2番手、そしてローソン、マモラ、平という並び順だった。ローソンが動いたのは12周目。先行する2人をかわすと予選同様の34秒台で後続を置き去りにした。
後半は藤原、マモラ、平という表彰台争いという図式になりギャラリーを楽しませた。 -
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ヤマハの新しいエース藤原儀彦
- 藤原儀彦は、梶ヶ谷レーシングから参戦したこの年全日本最高峰クラスにおいて、当時史上最年少でチャンピオンに輝いた。TBCビッグロードレースへは3回目の参戦となる。この後全日本500ccのタイトルを3年連続で獲得する偉業を成すことになるが、既にこのレースでは国内外のワークス勢を従えて走るという、新たなヤマハのエースの片鱗を伺わせていたと言える。
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